ハロー!ドイツ・ベルリン在住のユキです。
(初めましての方へ。自己紹介はコチラです🧏🏻♀️)
ある晴れた日曜日の朝、家族でお出掛けすることになりました。
当日私は息子の父親とケンカをして口をきいていなかったので(笑)私は何処へ行くのか知らないまま。
行く先を聞くのも癪なので、とりあえずついて行きました。(←頑固w)
🇩🇪
地下鉄(U-Bahn)とトラムを乗り継いで到着したのは・・・
ベルリンの何処かのはずです。
マルクト(マーケット)のような沢山のお店があり、大勢の人々でごった返していました。
少し歩くと、丘の上の長い壁にグラフィティーアートを楽しむ人たちがいました。
周りにはビールを飲みながらお喋りを楽しむ若者、
ホームレス、奇抜なパフォーマー、
ポエムを即興で作って売る人、
バーベキューを楽しむグループ・・・
色んな人がドンドン増えてきました。
🧏🏻♀️「ここは一体どこなの!?」
息子の父親に聞きたくなかったので(←まだ怒ってるw)コソッとGoogleマップで調べてみると・・・
Googleマップより |
🇩🇪
Mauerpark
Mauerparkを直訳すると「壁の公園」です。
この公園はベルリンが東西に別れていた時代は壁の「Death Strip」と呼ばれた地域だったのです。
“Death”って”死”でしょ!?😨
穏やかじゃないですよね・・・。
この名前の由来ですが、旧東ベルリン側の東西境界線の壁(いわゆるベルリンの壁)とフェンスが二重に建てられており、この壁とフェンスの間が “no man’s land” 立ち入り禁止区間でした🚧。
西側に渡ろうとしてこの区間に立ち入った者は殺されたので「Death Strip」と呼ばれるようになったのです・・・。
壁が崩壊した今では、大きな公園となり市民の憩の場になっていますが、今でも丘の上にはベルリンの壁の一部が残っています。(先ほどグラフィティーアートを描いていた壁です。)
壁は距離にして100メートルくらいありそうな長いものです。
🚨日曜日のフリーマーケットは人気の観光スポットで大混雑します。楽しいですが、色んな人が来るので、持ち物に十分気をつけて歩きましょう。
🇩🇪
そもそも、ベルリンの壁って?
ここでベルリンの壁について皆さんご存知かと思いますので、かなり端折ってお話しします。
🇩🇪
第二次世界大戦で敗戦したドイツは、勝利した国アメリカ・フランス・イギリス・旧ソ連によって分割されることになりました。
西部と南部はアメリカ・フランス・イギリスにより占領され「西ドイツ」に、
また、北東部は旧ソ連により占領され「東ドイツ」に、
ドイツは東西に分裂しました。
「ベルリン」は東ドイツの中に位置しますが、首都であるためベルリン自体も勝利国で分割されました。
米・仏・英が治めることになった部分が「西ベルリン」です。
西ベルリンは東ドイツの中で島のように存在することになります。
上の地図で黒い太線がベルリンの壁。紫の線は東ベルリンで、全て東ドイツ内にあります。 |
西ドイツは西側諸国の後押しにより、急速に経済成長していきました。
一方の東ドイツは旧ソ連に産業などを搾取されたため経済は停滞。発言などの自由も規制されます。
🧏🏻♀️「ドイツ分裂時代の状況は、今の韓国と北朝鮮によく例えられますよね。」
当初は東西ベルリンは自由に行き来ができていましたから、東ドイツの人々は次第に西ベルリンに行き、そこから西ドイツに流出するようになりました。
日々2,000人くらいの人々が西側へ渡っていたので、東ドイツ政府は次第に危機感を持つようになったのです。
そこでこれ以上人々が西ベルリンへ渡ることを防ぐために、西ベルリンをぐるりと囲む壁を建てることにしました。壁の全長は155㎞もありました。
ベルリンの壁は1961年8月13日に建てられ、東ドイツが再び東西ドイツの行き来を許可した1989年11月9日までここに存在しました。
🇩🇪
“Komm rüber!”
(🇬🇧come over!)
さて私たちは公園をぐるりと見て周った後に Bernauer 通り(Beanauer Straße)を歩いてみました。
この通り沿いには壁にまつわる悲しい歴史や当時の写真や映像が展示されており、さながら屋外ミュージアムのようです。
特に私の目を引いたのはこちら👇🏻の写真でした。
photo:Peter Leibing |
ベルリンの壁が造られ始めたときに、東ドイツの国境警備員が有刺鉄線を飛び越え西ベルリンへ逃れる瞬間です。
これは東西ベルリンの分裂や冷戦時代を象徴するハンブルクの写真家 ペーター・ライビング(Peter Leibing)さんの有名な写真です。
この国境警備員はハンス・コンラート・シューマン(Hans Conrad Schumann)さんという方です。改めてじっくりと壁の写真を眺めていると、この方がその後どうなったのかとても気になってきました。
そこで、帰宅後に調べてみました。
🇩🇪
18歳で警察の国境警備隊に入ったシューマンさんは、1961年8月15日Bernauer 通りにある境界線の警備にあたることになりました。その時シューマンさんは19歳。まだその頃の境界線は「壁」ではなく有刺鉄線でした。
有刺鉄線を挟んで若い女性と年配の女性が話していました。この2人は母娘のようでした。東側にいたお嬢様が鉄線の上から西側の母親に花束を渡してお誕生日のお祝いの言葉をかけていました。そして、誕生日に訪ねていけないことを詫びながら、シューマンさんを指してこう言ったのです。
👱🏻♀️「この警備の人たちが私たちをもう通してくれないから・・・」
シューマンさんは考えました。
👱🏻♂️「この先の人生、ずっと自分の国の人々に銃口を向けて閉じ込め続けるのか?」
その日の昼頃、東ドイツのおよそ1,000名の人々がデモンストレーションを始めました。人々は色々なスローガンを叫んでいて、中には「Freiheit !(🇬🇧Freedom!)」と叫ぶ人もいました。
この集団は次第にシューマンさんのいたエリアに近づいてきました。
シューマンさんに緊張が走ります。
👱🏻♂️「僕はこの人たちを傷つけたくない!」
シューマンさんが動けずにいると、たくさんの東ドイツの国境警備員が装甲車でやって来て、銃剣で脅してデモ隊を境界線から押し戻しました。
そしてトラックで運ばれてくるコンクリートや鉄板を見てシューマンさんは思いました。
👱🏻♂️「ここから急いで逃れなくては!」
その後誰からも見られていないときに、同じ場所の有刺鉄線の一部を少しずつ押し下げ続けました。それに気づいた東ドイツの若者が近づいてきました。
👱🏻♂️「後ろに下がれ!」
シューマンさんはその若者にそう叫んで、その後に、
👱🏻♂️「僕は飛び越える!」
と囁きました。
若者は東ドイツの国境警備隊に叫んで知らせました。(当時の東ドイツでは人々はお互いを見張り・見張られるような仕組みがあったのです。)
東ドイツの警備が車でやって来ます。
シューマンさんは急いで有刺鉄線を飛び越えました!
持っていた機関銃を落としながら!
飛び越えたあとは、西ドイツの警察車両に乗せられてその場を去りました。
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かつて監視塔がありました。今は骨組みだけ残っています。 |
シューマンさんは西ドイツ市民からはヒーローとして受け入られましたが、西ドイツ政府からは東ドイツの情報を得るために何度も何度も尋問を受けました。
東ドイツに残してきた家族とは文通で連絡を取っていましたが、家族からの手紙はじつは東ドイツの秘密警察によって書かれていました。
精神的に参ったシューマンさんはアルコールに溺れるようになりました。
その後西ベルリンから西ドイツに渡るも、常に東ドイツの秘密警察から報復を受けることを恐れながら暮らしていました。
ドイツ統一後に帰郷を果たすも、昔の同僚や家族から「裏切者」扱いをされ、ずっと報復を恐れ続け、うつ病を発症しました。
そして56歳のシューマンさんは自ら命をたってしまいました・・・
🇩🇪
私はシューマンさんは難しい状況で正しい決断をしたと思いますが、その後こんなにも苦しまなくてはいけなかったなんて、本当にお気の毒です。
そしてシューマンさんの悲劇はほんの一例で、ほかにも脱走中に命を落とした東ドイツの人々のお話がBernauer 通りにたくさん書かれていました。
ドイツ語だけでなく英語でも書かれているので、私のようなドイツ語ができない人たちも、それぞれ時間をかけて読み考えることができます。
この下に西へ通じるトンネルが掘られていました。 |
🇩🇪
カフェでひと休み
では最後に、おススメのカフェを一件❤️
マウアーパークの周りにはたくさんのカフェがありましたが、私たちがお邪魔したカフェでいただいたケーキがとても美味しかったのでご紹介させて下さい。
雰囲気の良い住宅地に佇む Sveda です。
お店はとても賑わっていました。
ボクちゃんはパンケーキ、
息子の父親はフラムクーヘン(🇩🇪Flammkuchen)
私はケーキとカプチーノを注文。
🧏🏻♀️「統一感ゼロ家族です。笑」
私のキャロットケーキはヴィーガン向けだったのですが、信じられないほど美味しくて❤️お店の方に「コレ、ホントにヴィーガンですか!?」と確認したほど。
フォークをケーキにブッ刺してサーブされるのはドイツあるあるです。 |
ヴィーガンじゃないケーキも沢山ありましたが、すべてお店で手作りされてるんですって。
🧏🏻♀️「ボクちゃんの頼んだパンケーキもフワフワで美味しかったです❤️」
またお邪魔して他のケーキもいただきたい❤️
●お店情報●
Sveda
Schwedter Straße 79, 10437 Berlin
それでは、今回はこの辺で。
お付き合いいただきありがとうございました。素敵な1日を❤️ ユキ
See you soon! Yuki
🧏🏻♀️宜しければこのブログをお友達にもご紹介ください❤️.
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