🇳🇱海外で高齢妊娠・出産した私のお話🇩🇪後編

ハロー!ドイツ・ハンブルク在住のユキです。

(初めましての方へ。自己紹介はコチラです🧏🏻‍♀️


私の高齢妊娠の経験をサラッと書くつもりが、いつの間にやらトリオロジーになっていました🙈

お付き合いいただきありがとうございます。笑

妊娠発覚した前編はコチラです

妊娠中のちょっとイイ話、中編はコチラです。


産婦人科クリニックで診察

後編の今回は、産婦人科での診察や病院での出産などについて書こうと思います。
先ずはコチラ👇をご覧下さい。デデン!

ドイツの産婦人科医から手渡されるムッターパス(Mutterpass )日本でゆうところの母子手帳です。
この手帳に受診のたびに漏れなく検査項目が記載されていきます。
ドイツでは、妊娠中は産婦人科医とヘバメ(Hebamee )と呼ばれる助産師に定期的に診てもらい、出産は施設の整った病院でするのが一般的です。
なので、産婦人科医と助産師が書き込んだ手帳(というか、もはやカルテ)を病院のドクターが確認して出産に挑むのです。
左ページ下の方のピンク色の枠内に❌が付いてます。いわゆマル高です。


「一般的」と書きましたが、出産の方法は他にも色々あって、本人の希望に沿って自由に選択できます。

例えばマタニティヨガで出会ったママの1人は、自宅にプールを作ってお湯を張り、精神統一して痛みをコントロールして和らげ、専門の助産師と共に出産する計画をしていました。
🧏🏻‍♀️「後ほどこのママの出産がどうなったか書きますね。」

私は一般的な方法で出産しました。

そうそう!
ドイツの産婦人科で驚いた事を1つ。
私の身体の変化で特記すべきことは体重増加です。
妊娠前に比べて15キロ😱も増えました。
妊娠前は52〜53キロだったのが、68キロまで増えたんですよ!
なのにドクターは体重増加について全く何も言わないので、私が毎回「こんなに増えて大丈夫でしょうか、私と赤ちゃん!?」って聞いていたほど。
日本で出産した複数のお友達から、体重増加についてかなり厳しいお医者様がいると聞いていたので、ドイツでの違いに驚きました。




出産する病院を選ぶ

私のお腹がかなり大きくなった頃、産婦人科医から、
🧑🏼‍⚕️「ぼちぼち出産する病院を決めてね。」
と言われました。
🧏🏻‍♀️「え!先生が赤ちゃんを取り上げてくださるんじゃなかったの!?」
実は、私はこの時に初めて知りました🙈。

そこで私は自宅から近い総合病院2つ(A病院とE大学病院)の見学説明会に行きました。
どちらの病院でもドクターとスタッフの紹介、病院の設備アピール、質疑応答、そして分娩室や産後滞在するお部屋を実際に見せてもらいました。
いずれの病院も素晴らしくて、自宅からの距離も同じだったので、私は少し規模の小さいA病院に決めました。
🧏🏻‍♀️「産気づいたら、またココに来るのね!
と、心の中で思ってました。が、その後私がA病院を訪れることはありませんでした・・・


全てのママに武勇伝アリ!

私は子どもの頃からお友達の「恋バナ」を聞くのが大好きです。
たとえそれがお惚気であっても、修羅場を見た話でも。

そんな私の新たな大好物が「出産エピソード」です!
予定日に産気づいて、なんの問題もなくツルッと出産したよ!なんて話、聞いたことありません。
皆さん何かしら予想外の展開になって、面白いネタをお持ちです。
「私、本当に死ぬところだったのよ!」って話さえ幸せに笑ってできてしまう不思議。

●私の場合
産婦人科医からも、助産師からも
「初めてのお産だから、予定日から1週間から10日遅れることはザラにあるよ。予定日を少し過ぎたくらいで焦ることないからねー」
と言われていたので、大きなお腹でも、まだまだ余裕ぶっこいてました。

出産予定日の10日前の朝。
いつものように起きて、朝イチのトイレに向かってビックリ!!
血が出てるやん…🩸

けっこうな量の出血だったので、息子の父親がA病院に電話しました。
👤「予定日の10日前ですが出血してます。これから病院に向かうべきですか?」
👩🏼‍💼「実は昨日からお産ラッシュで、ウチの病院ではこれ以上妊婦を受け入れられないんです。救急車を呼んで他の病院に行って下さい。」
と、まさかの門前払い!

言われたとおり救急車を呼んで、搬送されたのがE大学病院でした。(見学説明会に行ったもう一つの病院です。)
それから直ぐには生まれず・・・
一旦帰宅したり、病院に戻ってきて病院の周りをグルグル歩いたり、
その間もずっと定期的に陣痛が来るので辛かったです。

ようやくその日の夕方くらいから本格的な陣痛が始まり、分娩室に入りました。

でも、やっぱりなかなか生まれず。

一晩中陣痛が起きるたびに野田内回り(無痛分娩でしたが全く効果ナシ!)私は疲労困憊。
明け方近くにはお腹の赤ちゃんの心音が弱くなり緊迫した状況になりました。
ついにドクターが一言、
👨🏼‍⚕️「最後にもう一度いきんで、生まれなかったら帝王切開にしよう。」

最後の陣痛が始まると、1人の助産師が私のお腹上部に乗って赤ちゃんを下に押し始めました。(文字通り乗ったんです!)
私は踏ん張りました。
お医者様が赤ちゃんの頭を吸引して、

スッポン!🪠

めでたくボクちゃんが生まれました!


●お友達ママの場合
先にお話ししたヨガ友達のお産はどうなったんでしょう?
出産前ギリギリになると、私も彼女もヨガレッスンに行けなくなりました。(腹がキツくて!)

彼女から出産したとメールをもらい、その後直ぐに私も出産し、しばらくバタバタで会えずにいましたが、彼女と久しぶりに会った時に聞くことができました。

👱🏻‍♀️「ヨガに行かなくなってからも自宅で精神面のトレーニングを続けてたの。いよいよお産が始まって、プールに入って集中した。最初はうまくいってて、全く痛みを感じなかったわ。
なのに突然!お母さんと喧嘩した事が頭に浮かんだの!お産の数日前に喧嘩したことを、突然思い出したのよ!それからはもう喧嘩した時のムカついたことばかり考えちゃって、お産になんか集中できなかったわ。
赤ちゃんはもう出てきてたのに、私は激痛でパニックで、結局、助産師の判断でA病院に搬送されたのー!」
ですって!

彼女は途中で精神コントロールができなくなったことを非常に無念がっていて、この時すでに2人目を作ると断言。次こそはやり遂げてみせる!と意気込んでました。


●まだまだある、エピソードたち
他にもたくさんお話しを聞きました。

👩🏽‍🦰「個室だったから、出産後、こっそりパートナーにシャンパンとSchweinemett(タルタルのような生の豚肉)を持ってきてもらって乾杯したの!」
なんて不良ママもいました。w

中には病院で陣痛に苦しみながら、ずっと放置されていたなんてひど過ぎる話や、描画するのがツラいほど痛々しいお話、大量出血で死にかけた話も。
でも皆さん笑顔で赤ちゃんを胸に抱いてお話しして下さって。

ホント、母は強しですね。
写真生まれたばかりのボクちゃん


最後7ヶ月頃。身体も態度も大きくなりました。


母の日をキッカケに書き始めましたが、お母さんの偉大さは毎日忘れちゃダメだなと思う次第です。

それではこの辺で。
お付き合いいただきありがとうございました。素敵な1日を❤️ ユキ
See you soon! Yuki

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